『水瓶』 対中いずみ句集 (ふらんす堂) より
水引に雨粒あたることわづか
水引の花は小さくて、それに縦に並んでいるから、雨が降ってきても確かに当たることは少ないだろうと思う。けれども、確率論を言っているわけではない。近寄ってみなければ、花弁が開いているかどうかもわからない花であっても、独特の存在感のある水引草の佇まい、初秋の静かにまばらに降っている雨、その光景をみている時間の経過などを感じた。
半裂の手の握らるることのなく
井伏鱒二の『山椒魚』に洗脳されているのか、山椒魚には哀愁を感じてしまう。この句なんて、泣きそうになる。大きな頭に似合わぬ可愛いらしい手(前足?)がついていて、思わず触れてみたくなったのかもしれない。半裂という呼び名がさらに切ない。
何かよきものを銜へて雀の子
雀は雑食性だから何を食べているかわからない。草の実も食べるけれど虫も食べるし、「よきもの」の正体はわからない。具体的に、リアルに描写すればよいわけではないと、改めて思う。
猫の目のむんと怒れる緑の夜
冬うらら竜の巻髭伸ばしたく
聖歌隊ロビーに散りて嬉しさう
水を見てゐて沢蟹を見失ふ
近々と二百十日の鳶の腹
ひとつづつこんもりとして水菜畑
キャンプの子松笠拾ひはじめけり
秋めくや斑点多き湖の魚
舌で草ひつぱつてゐる子亀かな
胸の手をきれいに組んで昼寝の子
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