雨が上がったので近木川へ。
ゴイサギ。ホシゴイから成鳥の色になりかけている感じ。
ぴょん。
カルガモのこどもたち。
数日前にサンコウチョウの雛が巣立ったと伺って、
まだ近くにいるかと見に行ってみたけれど、幼鳥は見つけられなかった。
大人の♂には会えた。
写真はほとんどオートフォーカスで撮っている。しかし薄暗い林道のサンコウチョウにAFが働いてくれないので、がんばってマニュアルで撮ってみる。が、難しい。
オオルリが道路の方まで出てきていた。
メスも。このあたりにも巣があるのかな。ベビーラッシュですね。
午後からはワクチン付き添い。
去年から延々と花壇の整理をしている。
今年入手のプチダリア ハミングブロンズ サイレンティア。色が好み。
これから猛暑になりそうだけれど、なんとか夏越しさせたい。
以前育てて気に入っていた、アノダの種が久しぶりに入手できたので春に種蒔き。
記憶の通り育てやすい。寒くなるころまでずっと咲いてくれるはず。
ヒオウギも少し整理。扇状の葉がよく見えるようになった。ここ数年、花はたくさん咲くけれどぬばたまの実ができない。今年はできるといいな。
ずっとゼフィランサスだと思って育てていたピンクの花が、ハブランサスではないかという疑惑。ネットの画像と見比べると、蕊のかたちがハブランサスっぽい。
句集『隣の駅が見える駅』塩見恵介(朔出版)より
中年は急にトマトになるのかも
中年+野菜(果物)という構図は、西東三鬼の「中年や遠くみのれる夜の桃」を思い出させる。三鬼は年下の俳人たちと親交が深く、自己の年齢を意識することが多かったようだ。散文中にも自虐ネタのように年齢のことを書いているのを見たことがある。三鬼の句の中年には少なからず自己の投影がされている。
掲句の場合はそのあたりは曖昧である。「急に~かも」という、どこか距離感のある書き方がされている。「トマト」というのも現実の中年が変身するには、少し可愛いらしすぎるような気もする。
三鬼の時代の中年と、今の中年とはずいぶん違う。ライフスタイルも様々となり、中年の実感の持てないまま年齢を重ねている人も多いのではないだろうか。実年齢と、自己の認識のギャップとか、ある日突然気づく加齢現象とか、そういうものをどこかイメージさせつつ、あまりリアルな手触りを追及しない軽い味わいの作品になっている。
馬頭琴たてかけ虹を見せている
ガーベラの顔を濡らさぬように水
噴水の前で止まっている家族
約束を守れなかった金魚の緋
蟬しぐれ友だち百人出来て邪魔
へのへのの僕ともへじな君の夏
揚花火父座り子は立ちて見る
元カレを案山子にかえて六体目
二つ貼るもし蒲公英が切手なら
今日の目的はサンコウチョウ。
5月下旬から、何回か姿は見ていたものの、写真撮れずにいた。
今日はなんとかこれ一枚。
去年とは別の場所です。
このオスは尾が長い。
これからしばらくは三光鳥シーズンだと思うので、マダニが怖いけれどがんばりたい。
買い物に行く途中、空地でコチドリの親子を見つけた。
コチドリのこども。既にそこそこ育った感じなのかな?先日、駐車場で見たペアが仕切りなおしたにしては展開が早すぎるから、別のペアだと思う。今まで気が付かなかったけれど、近所のあちこちで、普通にコチドリが繁殖しているのか・・・。
雛は小さくて見つけにくく、とりあえず一羽しか見当たらなかった。ここはカラスが多いので心配。カラスが来るたびに親が警戒して鳴いている。
親の下に隠れる雛。