句集『隣の駅が見える駅』塩見恵介(朔出版)より
中年は急にトマトになるのかも
中年+野菜(果物)という構図は、西東三鬼の「中年や遠くみのれる夜の桃」を思い出させる。三鬼は年下の俳人たちと親交が深く、自己の年齢を意識することが多かったようだ。散文中にも自虐ネタのように年齢のことを書いているのを見たことがある。三鬼の句の中年には少なからず自己の投影がされている。
掲句の場合はそのあたりは曖昧である。「急に~かも」という、どこか距離感のある書き方がされている。「トマト」というのも現実の中年が変身するには、少し可愛いらしすぎるような気もする。
三鬼の時代の中年と、今の中年とはずいぶん違う。ライフスタイルも様々となり、中年の実感の持てないまま年齢を重ねている人も多いのではないだろうか。実年齢と、自己の認識のギャップとか、ある日突然気づく加齢現象とか、そういうものをどこかイメージさせつつ、あまりリアルな手触りを追及しない軽い味わいの作品になっている。
馬頭琴たてかけ虹を見せている
ガーベラの顔を濡らさぬように水
噴水の前で止まっている家族
約束を守れなかった金魚の緋
蟬しぐれ友だち百人出来て邪魔
へのへのの僕ともへじな君の夏
揚花火父座り子は立ちて見る
元カレを案山子にかえて六体目
二つ貼るもし蒲公英が切手なら
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