『記憶における沼とその他の在処』岡田一実句集(青磁社)より
眠い沼を汽車とほりたる扇風機
この句集には、実景として、無理なく読めるような句が多く収められている。その中ではこの句はややあいまいな方へ、幻想の方へ傾いているだろうか。けれどもなぜか、この扇風機がかき混ぜている、なまぬるい風は、私も知っているように思う。読んでいて、自分の記憶領域へ、はたらきかけられるのを感じた。
阿波踊この世の空気天へ押す
喪の人も僧も西瓜の種を吐く
墓石は可動の石ぞ秋の暮
歩きゐて動く歩道や鳥の恋
雨ふる地球に筍飯の炊きあがる
端居して首の高さの揃ひけり
囀をはづれて鳥や地を歩く
見るつまり目玉はたらく蝶の昼
鱒の寿司夜中の駅を見つつ食ふ
飛行機に百の魂浮く冬の空
タイトルに「記憶」という言葉があるから、というわけではないが、記憶の仕組みとか視覚情報の処理の仕方とかについて考えてみたくなり、久しぶりに認知心理学の本でも読んでみようかと思ったら、手元に心理学の本が一冊もないことに気づき愕然。一応、心理学科卒なんだけど・・・。
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